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プログラミング備忘録とともに、ポエムってます。

福島旅行記(2019年)、その1

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静岡の地元の友人に誘われ福島へ旅行することになった。 友人は大内宿のお祭りに興味があるらしかった。 私は被災地の方に、興味があったので祭りの翌日はいわきへ行く旅行となった。

旅行初日は、なんと、40年ぶりの大寒波などとニュースで騒がれていた。どうなることやらと頭を抱えた。 さらに、待ち合わせ時間でのトラブルがあったために、出発からして、先ゆき不安な旅行になりそうだった。しかし、ネガティブに考えれば本当にネガティブなことが起こると思ったので、気持ちを切り替えることにした。

都内から宇都宮線で栗橋まで行き、東武日光線へ乗り換える。そして新藤原で鬼怒川線に乗り換える。日光を過ぎたあたりから、外の風景はガラリとかわった。鬼怒川に沿って渓谷の中を走る景色は、以前スイスで見た景色と似ていた。さらに雪の化粧と合わさって、とても美しかった。東京から3時間ほどのところに、このような美しい景色があるのかと驚いた。それを知っていれば、わざわざスイスなど行かなくても良かった。

その日の宿泊先である、湯野上温泉駅へつくとすぐに、ホテルへチェックインし、荷物を預け、大内宿へのバス停へ向かわねばならなかった。 しかし、手袋をどこかへ置き忘れた事に気がついた。まだバスの出発までは時間がありそうだったので、旅館へもどり手袋を探すも見つからない。どこか電車内へ置き忘れてしまったようだった。ホテルの人に事情を説明すると「あらやだぁー、もうぉー」などと、私より慌て、厨房へ駆けて行った。渡された手袋はまだ暖かかった。それもそのはず、ご主人のはめていた作業用の手袋を渡してくれたのだ。流石に悪い気もしたので、その後、ゴム付きの軍手をお借りすることにした。雪国になれていない、愚かな旅行者だと笑われたかもしれない。

大内宿へ向かうバスは大渋滞という知らせを受けた。数十分で行ける予定のところを、何時間も待つ可能性があるのだと。既に移動で疲れていた我々も、流石にどうしようかと迷った。しかし考えているうちに、扉は締り発車してしまった。それでも、そのバスは裏道から行ってみるということで、渋滞にあわずに済むのかと期待を膨らませた。その後も渋滞には巻き込まれず、一時間ほどで大内宿へ着くことができた。

あまりの寒さの中で、ついた早々に早く帰りたいと思う私とは反対に、友人はお祭りを堪能していた。

旅館の人が、帰りはバスが混むから早めにバス停へ向かったほうが良いと言ったことを友人は覚えていた。花火の途中だったが、18過ぎにはバス停で待つことにした。 案の定、最初は誰もいなかったバス停だったが、いつの間にか後ろに長い行列ができていた。 その後、雪が吹雪く中で1時間ほど待つというのはたいへん辛かった。 待合室もないという状況を恨んだ。毎年こんな状況では、次から観光客は来なくなってしまうという不満を友人にぶつけていた。

ようやく到着した帰りのバスの中に、既に人が乗っている。どういうことなのか。ここが始発では無いのだろうか?なぜ乗客が乗っているのだろう。 バスの中へ乗ることはできた。命拾いした思いでイスに座り、安堵していると、隣の婦人が話しかけてきた。 話によると、祭り会場へ向かっていたのだが、渋滞に巻きいこまれ、たった今着いたのだということだった。 16時に出発してバスが、19時に会場へ着いたのだ。彼らは3時間もバスの中にいたことになる。そして、会場へ着いたは良いものの、帰りのバスが19時最終なのだ。そのまま引き返して帰るしかない。どんよりした空気に、そのとき納得した。 花火も見れずに、とても不満そうにしていた。 彼らのバスより後に私達は出発したはずだった。それが、私達のほうが先についてしまったのだ。その事実を知り、彼らは更に機嫌を悪くしたというのは言うまでもない。

帰りはたったの20分そこらで、湯野上温泉駅へ着いた。こんなに近いところだったのかと、そしてこの距離を3時間もかけたのかと、今では彼らに対して同情する。しかしそのときは、私も寒さから救われた興奮で、人の気持ちを汲むほどの余裕は無かった。

旅館へ帰り、貸し切りの温泉へ入って甦った。色々トラブルの多かった日だったが、その何もかもが楽しい思い出となった。そして温泉がこれほど気持ちの良いものだとは、このときほど感じたことはなかった。

その夜、何週間ぶりに酒を飲んだのもあり、はしゃぎすぎてしまった。案の定、翌日は二日酔いの苦しさと戦う羽目になる。

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