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プログラミング備忘録とともに、ポエムってます。

私のMacBook

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このMac Bookを使ってプログラミングしている。2、3年に一度は買い替えているMacBookだ。

 

vimの操作訓練のために、養生テープを貼って矢印キーを使えない状態にしている。状態と言うより変態なのかも知れない。

 

下に見える汚い手あては、百均で売っていた靴底のクッションシールだ。そろそろ買い替えたいとは思っているのだが。。まさか彼もこんな辱めを受けるとは思ってもいなかっただろう。

 

矢印キーを使えなくなると、恐ろしくストレスフルだ。だからショートカットキーを覚えるようになる。k j k l で移動することになる。

 

こういうことをやっていくと何でもかんでもトラックパッドを使わず、キーのみで表現したくなってくる。

 

そうすると面白いことに英語を強制的に学ばざるをえなくなってくる。

 

例えばターミナル上でヒストリーを遡るときのctrl pのpはpreviousだろうとか、nはnextの意味であろうとかいちいち英語で考えないと覚えられないのだ。

 

だから私のような英語苦手な者にとってはなかなか骨の折れる作業である。

 

それもそのはず、プログラミング言語が英語ベースで設計されているので、そもそも日本人はハンディーキャップを背負っていると言わざるをえないのだ。

 

しかしながらこれらの作業も私自身の英語の勉強としてとらえてみればそれなりの資産にはなるはずだ。

 

ただしこれには条件があり、GUIをできるだけ使わず、cuiで物事をこなすという痛みを克服しなければならない。マウスやコピペを使ったりした時点で学習機会は失われていくだろう。

 

話はそれるが、言語自体がローカライズつまりは専門性であると考えられる。日本に生まれれば日本語が専門、英語圏に生まれれば英語が専門、当たり前の話だ。

 

さて、言語空間以外の世界ではどうだろうか?

 

言語空間を度外視すれば、世界共通で訴えかけるものがある。それが視覚の認知ではないだろうか?

 

そして漫画や絵の世界で日本人は世界を凌駕しているのということは大変面白い。